翌日から事態は急変した。
わけのわからない帰り際の攻撃を何度も「なにかの間違いだ」と自分に言い聞かせていた準太だったが、翌日の教室でぶつけられた視線はあからさまに自己主張の強いものに変化していていた。
目が合うと嬉しそうに微笑され、不覚にも慌ててそらしてしまう。これではまるで意識しているようではないか。彼は必死で自分をなだめた。
そもそも攻撃の意図も意味も謎のままだ。いくらスーツで武装したつもりでいても、所詮は若造と思われているのかもしれない。からかわれているという結論に至り、昼休みに生徒指導室へ来るよう努めて冷静に告げた。
大人としてひと言言ってやらねば気が済まない。生徒指導室というのは少々大袈裟な気がしたが、内容が内容なだけに他人に聞かれるわけにはいかない。しかし呼び出された当人はどこか喜んでいるようにさえ見えた。
「わけわかんねぇ」
前髪に指を差し入れて軽く掴むと、体の奥の方から疲労を含んだため息が漏れた。大きく吐き出した息で机の上の小テストがふわりと浮いた。
自分で呼び出しておきながら、時間が経つのを億劫に感じる。ここは大人の威厳を見せつけて、あんなふざけた真似を二度としないよう言い聞かせるつもりだったが、それほど年のかわらない相手にそれが可能かどうか不安になってきたのだ。
相手は特に普段の素行に問題のある人間ではない。むしろ人懐っこい笑顔を湛えた温和な少年だと認識している。もっとも情報は担任教師である河合和己から得たものであるが。
いくら考えても答えが見つかるはずもなく、結局不安を残したまま約束の時間を迎えた。
利央はやけにリラックスした様子で生徒指導室の扉を開いた。一足先に室内で待機していた準太は、その様子に目を瞬かせてしまう。
恐る恐るやってくることはないと予想していたが、これほどまでに呑気な顔で入室されても戸惑ってしまう。まるで昨日のことが嘘みたいな様子だった。
呆気にとられていた自分を内心で叱咤すると、準太は威厳を見せつけるために大袈裟な咳払いをして厳しい表情を作る。
「座れ」
机を挟んで置いてあるパイプ椅子を顎で示して腕を組む。利央は緩慢な動作で腰掛けた。
「まさか準さんから呼んでくれるとは思わなかったです」
「は?」
「昨日の続き、しますか?」
「ばっ、なに言って、お前」
うまく言葉にならない。言いたいことが舌先でもつれて頭が一瞬真っ白になった。
「先生、だろうが」
そう言うのがやっとだった。突っ込みたいところは山ほどあったが、それはすべて舌先で空回りするばかりだ。ひと言厳しいことを言うつもりが逆に追い詰められる始末。
なんとか形勢逆転しようと頭をかきむしるが、言葉がまったく浮かんでこない。
しばらくその様子を黙って眺めていた利央が弾んだ声で問いかけてくる。
「じゃあ、なんで呼んだんですか」
「あ? それは、あれだ。お前が、その、昨日あんなことしやがったから。何のつもりか」
歯切れの悪い言葉が並ぶ。数分前まではもっと厳しい口調で問い詰めてやるつもりだったのに、すっかり弱々しい問いかけになってしまった。
苛立ちと焦燥に追い立てられ、困り果てた準太は両手の指を組んで机の上で落ち着きなく小刻みに揺らす。恐ろしいので利央の顔は見ない。
「その質問、本気で言ってるんすか」
質問で返されて苛立ちがさらに募る。怒りの勢いに負けてうっかり正面を睨みつけてしまった。
「言っとくけどな、オレはあんなことでいちいち動揺したりしないからな。むかついてんだよ。殴ってやりたいけど、体罰だなんだってうるせぇから我慢してやってんだよ。ありがたく思え」
あからさまに動揺しているくせに、口から出るのは見栄っ張りな台詞ばかりだ。いまさら取り繕ったところで動揺しているのは見え見えだったが、本人はうまく隠しきれているつもりでいた。利央は、言い切ったとばかりに満足そうな表情を浮かべた教師をじっと見つめる。
「てめっ、なに笑ってんだよ」
「え? いやー準さんってマジでかわいいですよね」
「おまっ、ふざけんな」
「ふざけてるのはどっちですか。だいたいあそこまでしたのに気づかれないこっちの身にもなってくださいよ。かわいそうなのはどっちだって話っすよ」
「わけわからん」
遠回しな言い方に苛々する。質問しているのは自分だというのに、一向に納得のいく答えが返ってこない。
少年は呆れまじりのため息をついた。お互いじれったそうに組んだ足を揺らしている。
「好きだからに決まってるじゃないですか」
「ん?」
「準さんが好きだからですよ」
「誰が、誰を?」
「オレが、あなたを」
よく事態が飲み込めずに目を丸くしている準太に、利央はことさらゆっくりと言葉を切って告げた。
しばらく沈黙する。
準太は必死で考えていた。好きだから、誰が、誰を。言葉はちゃんと聞こえていたが、それをきちんと理解するのに時間を要した。別にこれが生まれて初めての告白というわけではなかったが、初めての要素があまりにも多すぎた。
「いや、ちょっと待て、待ちやがれ?」
「はーい」
告げられた言葉は重く圧し掛かってくるというのに、相手の態度は腹が立つほど軽すぎる。軽快な調子で返事を返されて準太はますます混乱した。
額に手の平を押し当ててひとつひとつ思考を組み立てていく。結論は目の前の相手が自分に告白している、といういたってシンプルなものに辿り着いた。それ以外の答えはない。
「おいクソガキ。まずひとつ。オレはれっきとした男だ」
「知ってます」
「次に、オレは教師でてめーは生徒」
「いまさらですね」
「とりあえず聞かなかったことにしといてやる」
「それは困ります」
困るのは準太も同様である。
このまま何事もなかったことにしてしまえばいいととっさに判断したが、それはあっさり否定された。突然軋みだしたこめかみを押さえて大きく息を吐くと、目の前の少年を言いくるめようと優しい声を絞り出した。
「落ち着け? お前体調悪いんだろ。河合先生には言っておいてやるから、すぐに早退しなさい」
大人として、冷静に対処したつもりだった。できるだけ相手を刺激しないように発した声は本人も驚くほど優しい。
利央の告白を若さゆえの過ちだと勝手に断定すると、退室するために立ち上がる。視線を極力利央に向けないよう注意しながら脇を通り過ぎようとしたところで、強い力に引きずられて阻まれた。よろけた体は歯を食いしばった利央の元に引き寄せられる。
「いつも見てたの、気づいてたくせに」
無理矢理頬を首筋に押しつけられた。
準太は行く手を阻む腕から逃げようともがいたが、現役捕手の力には到底敵わない。動作は強引なくせに、吐き出された声はどこか頼りないものだった。そのせいで準太の足がすくむ。
視線には気づいていたが、誰がその奥の心情まで察することができようか。
まさかの告白に心臓が早鐘を打つ。反論をしようと試みたが、焦って渇いた唇は意味のないうめき声を漏らすだけだった。あーうーと唸っていると、背中がしなるほど強く腕を締めつけられる。
「お、落ち着け仲沢。わかった、わかったから」
こんなところをうっかり誰かに見られてはかなわない。
準太は悲鳴に近い声を上げながら必死で相手を落ち着かせる方法を考えた。こういうときは相手の要求を聞いて優しく諭すに限る。
彼は昨日テレビドラマで見たワンシーンを思い出していた。ビルの屋上から飛び降りようとしている犯人を優しく説得する敏腕刑事。目を閉じてそのシーンを思い浮かべた。
「とりあえずお前の要求を聞くから。だから落ち着いて、まずはこの手を放せ」
その言葉に利央の喉が鳴った。準太が顔を上げると、いつもは眠そうな目が見開かれていた。何かを問いかけるような視線に頷くと、ようやく利央の手から解放される。ほっと息を吐いて少し歪んだネクタイを直していると、少年はやけに真剣な声で要求を告げた。
「じゃあ、オレを好きになってください」
「いやっ、だからなんでそうなる」
危うく「わかった」と言いそうになって慌てた。まさかそうくるとは思っていなかったらしい。
恐る恐る上げた視線の先には真っ直ぐに自分をとらえる双眸があった。冗談だと笑い飛ばすわけにはいかないほど思い詰めた表情をしている。だんだん翳っていく表情を見ていると、自分の置かれた状況を忘れて利央がかわいそうに思えてきた。
まるで自分がいじめているような錯覚に陥り、準太は気まずい気分を抱えるはめになる。厳しく責めたてて強引になかったことにしようとしたが、次の言葉が見つからずに視線を泳がせた。利央はためらいがちにそんな準太を覗き込んでくる。
「好きなんです」
真っ直ぐな告白に言葉をなくす。そらすことを許さないと言わんばかりの強い眼差しにつかまり、準太は大きくのけぞった。
「ダメ、ですか?」
当然ダメに決まっている、つっかかりたいが言葉が出てこない。その上ひどく悲しそうな顔を目の当たりにして唇を噛むばかりだ。
「べっ、別に……ダメだとは言わないけど、な……」
徐々に話が思惑とは真逆の方向へ向かっている。自分の発した言葉に首を傾げている準太を長い腕が包み込んだ。
「ありがとうございます!」
「え? どういたしまして?」
相手の歓喜に飲み込まれてつい乗ってしまった。抱きすくめられたままどこか納得のいかない表情で首を傾げる準太だったが、まだ自分の犯した失態に気づいていなかった。
NEXT BACK INDEX