左の条件


 振り回したり振り回されたり、今日も戦いは続く。
「なんでそんな怒ってんの」
 クッションに顔を押し当ててふてくされている利央。それは十分も前から続いている。眠っているのかと思ってつま先でつついてみると唸り声が聞こえたので起きているらしい。
 準太は片膝立ててじっと不機嫌な後輩を眺めていた。せっかく練習休みなんですから、うちでゲームしましょうよ、そう言って彼を呼び出したのはふてくされている張本人である。
 格闘技ゲームのスタート画面の時、利央は満面の笑みで言った。
『もしオレが勝ったら、なんでも言うこと聞いてくださいよ』
 しかし結果は惨敗。
 どうやらこのゲームにかなりの自信があったらしいが、準太の容赦ない攻撃に防戦一方だった。
 一体どんなお願い事をするつもりだったのかはわからないが、このふてくされようからおおかた予想はついているようだ。
 準太はコントローラーを放り投げ、床に寝転ぶ。ふてくされた利央が浮上するのを黙って待つことにした。子供じみた少年の扱い方はすっかり慣れたものである。
 自分が座っていたクッションに頭を預け、胸の上に手を乗せると大きく息を吐いた。ほっとすると体中に疲労が広がっていく。
 右手をかざし、ぼんやり眺める。光に縁取られた指先には新しい傷がいくつかあった。
 体の力を抜くと眠気が襲ってくる。利央もそのうち機嫌を直していることだろうと踏んで、そっと目を閉じた。

 左肩に重みを感じて目が覚める。まどろみの中で自分の球を受けていた相手は利央だった。マスクを脱いだ少年は無邪気な笑顔で人差し指を立てていた。
「ん?」
 左肩に視線をやると、頬に寝息がかかる。
「どうなってんだ」
 ひとりごちてしばらくそこを眺めた。準太の左肩に遠慮がちに乗せられている利央の頬。わずかに身じろぐと頬に柔らかい髪が触れた。
 目はしっかり閉じられていたが、唇は薄く開いている。額を叩いて起こしてやろうかと一瞬考えたが、安堵の表情にすっかり毒気を抜かれてしまった。長い息を吐いてそのまま天井を見つめる。
「準さーん。ナイスコース」
 突然耳元で叫ばれ心臓が跳ね上がる。横目で確かめたが目はしっかりと閉じられたままだった。もしかしたら自分と同じような夢を見ているのかもしれない、そう思うと無性におかしくなってくる。満足げな寝顔に苦笑すると、そっと手を伸ばして指先で額を弾いた。利央は顔をしかめる。
「起きろ、アホ」
 近くにある無防備な寝顔に触れ、頬を思い切りつまんでやった。するとひどく驚いた表情で利央の目が開く。まだ焦点の定まらない瞳がせわしなく動いている。その顔が面白くて準太は小さく吹き出した。
「ぶっさいくな顔」
「へ?」
 利央の頬はまだ準太の肩に乗ったままである。自分からそうしたのだが、利央の鼓動は急に早鐘を打ち始める。慌てて飛び退くと、側に正座してうなだれた。
「す、すいません」
「あ?」
 脈絡のない謝罪の言葉に目を瞬かせながら起き上がる準太。肩をすくめてすっかり落ち込んだ様子の利央の意図がまったくわからないでいる。視線で意味を問われ、上目遣いで様子を窺った利央は意を決して口を開いた。
「賭けに負けたのに勝手に」
「……お前、賭けに勝ったらなに言うつもりだったんだよ」
「あ、いや。その」
 口ごもる利央の姿を見ていると、意地でも聞き出してやりたい衝動に駆られる。意地悪く笑んだ口元で優しく問いかけた。
「なに?」
 利央はクッションを抱きしめて首を横に振っている。
「どうせ勝ったら言うつもりだったんだろ。怒らねーから言ってみなって」
「絶対怒んないって約束してくれますか」
「絶対。約束する」
 絶対、という言葉が気に入っているのか、利央はにわかに破顔する。それでも少々ためらいがあるらしく、クッションを抱きしめたままそっぽを向いていた。大きな体の割に小心者なのが、憎めないひとつの要因でもある。
「準さんの左をください」
「は?」
「ちょっと怒ってないっすか?」
 怒っているというよりもあきれていた。唐突に素っ頓狂なことを言い出した相手の意図を探ろうと凝視したが、利央は照れくさそうに笑むばかりでさっぱりわからない。
「だーかーらー。準さんの左側でいいから、オレにくださいよ」
 そう言って利央は準太の左肩に触れた。彼は戸惑いがちにそこへ目を向ける。
「こっちは?」
 何気なく右肩に触れてみる。利央は喜色満面の表情で答えた。
「利き腕はチームのもんっすから」
「あーそうですか」
 右も左もどうやら他人のものらしい。
 準太は立てた膝に腕を乗せ、前髪に指を差し入れる。にこやかな笑顔がそんな彼をじっととらえている。
「で、いいっすか」
「オレに賭けで勝てば、な」
 コントローラーを利央の顔の前で振ってみせる。挑発的な態度に真っ赤になってそれをひったくった。その様子を準太は面白そうに眺めている。
「準さんって絶対鬼ですよね」

 自分ばかりが振り回されていると思っているのはお互い様。
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