名もなき花 #4


 受け取る球に苛立ちが見えた。いつもならほとんど構えたところにくるはずだが、今日は右に左に散っている。
 普段ユニフォームに着替えると感情を表に出さない準太には珍しいことである。利央は何度も首をかしげて返球した。
 現在紅白戦が行われている。打順が迫ってきたので準備を整えていた利央の元へ青木毅彦が駆け寄ってきた。青木はなるべく周囲に声が漏れないように耳打ちする。
「あいつ、何かあった?」
「え?」
「全然球が走ってない」
「やっぱりタケさんもそう思います?」
「お前、何かしただろ」
「……どういう意味っすか」
 妙に確信した様子の青木に苦笑してみせる。大きく首を横に振ったが、目を細めて疑いの眼差しを向けられた。
 準太の心を動かすのが自分だと思われているのは嬉しかったが、あれほどまでに荒れているのを自分のせいにされるのは心外である。
 投げる球はすぐにとらえられ、いともたやすく長打を放たれた。それはさらに準太を苛立たせて悪循環である。
 利央はタイムを取ってマウンドに駆け寄った。するとあからさまに準太の表情が歪む。
 チームメートは困惑した様子で二人を見守ることにした。迅が無言で利央の尻をグラブで叩く。お前がどうにかしろ、ということらしい。
 利央はぐっと唾を飲み込み、意を決した様子で頷いた。
「何があったのか知らないですけど、試合中に苛々するなんて準さんらしくないっすよ」
 勇気を振り絞ってぶつけた言葉になぜか準太は吹き出した。グラブで顔を隠して肩を小刻みに震わせている。
 何がそんなにおかしいのかさっぱり理解できないチームメートたちは揃って顔を見合わせた。
「確かに。馬鹿に振り回されるなんてらしくないよな」
「え?」
 言葉の意味を理解しかねて尋ね返したが、準太は答えることなくにやっと笑った。
「悪い」
 右手をすっと上げるとそれを合図に全員が守備位置へ戻っていく。利央もひとまず試合に集中することにしてホームへ小走りで駆けて行った。
 一瞬準太が漏らした言葉が浮かんできたが、頭を振って遠くへ追いやりミットを構えた。


 もやもやした気分のときはこの場所に限る。利央の足は礼拝堂へ向かっていた。メールを送信しながら歩いていたので危うく通り過ぎてしまうところだった。
 送り先は田島悠一郎、今年の夏の大会で彼らをやぶった西浦高校の四番打者である。勢いでメールアドレスを尋ね、時折やりとりをしていた。
 やりとりといっても田島からの返信はめったになかったが。ひどいときは一週間後に返事が送られてくることもあった。
 特に答えを求めているわけではなかったが、誰かに呟きたいときがある。彼が送ったメールは『好きな人に嫌われてるとしたら、どうする』というものだった。
 返事はまったく期待せず、上着のポケットに携帯を落として礼拝堂の扉に手をかける。風にさらされて冷たくなった唇をかばうようにマフラーにうずめた。
 肩をすくめて扉を引こうとするとポケットの中が騒がしくなる。何事かと震える携帯電話を取り出した。
 ディスプレイを見た彼の動きが止まる。目を疑う意外な名前を認めて二、三度瞬きした。
 届いたメールの送り主は田島悠一郎。こんなに早く答えが出るはずないとたかをくくっていた利央は、恐る恐るボタンを押した。
 これまでいくら考えても答えが出なかったのだ。こうもあっけなく答えを出されると困ってしまう。
 文章は田島らしいというべきか、短く簡潔なものだった。何度か短い言葉を読み返してから彼は吹き出す。
『好きにさせる』
 自信に満ちた文字に体中の力が抜けてしまう。
「それができないから苦労してんのに」
 できないと決めつけてしまうからいけないのだろうか。もう一度短い文章を読んでそう思い直す。
 一年生だけのチームが昨年の甲子園出場校に勝てるはずがない。誰もがそう思った試合を覆した張本人が言うのだ。少し元気付けられ扉を押した。
 ひっそりとした室内はいつも悠然と人を迎え入れ、波立つ感情も穏やかになっていく。一歩一歩ゆっくり踏みしめるように歩いていくと、聖母の正面の長椅子に腰掛けた。
 何気なく視線を落とすと誰かの頭が視界に飛び込んでくる。驚いて目を凝らすとまぶたを閉じて寝転ぶ準太の姿があった。
 一瞬声を上げそうになったが、口を塞ぎなんとか喉元でとどめる。口に両手を当てたままそっと覗き込むと、準太は穏やかな顔をして眠っていた。
 こんなところで何をしているのか疑問に思ったが、起こしてしまうのはもったいないので息を潜めて眺めることにする。いつも近づいただけで眉を寄せられるのだ。
 椅子に深く腰掛けて頭上を仰ぐ。淡い光が足元に向かって伸びており、心地良さに負けて目を閉じてしまいそうになる。
 腕組みをして静かに息を吐き出すと、横目で準太の寝顔を盗み見た。しっかり閉じられていた唇がわずかに開く。
「アホ利央」
 突然零れた言葉に利央の心臓が跳ね上がる。覗き込んだ目はやはりしっかり閉じられていた。
 寝言とかと安心したのも束の間、夢の中でまでアホ呼ばわりされているのに気づいてうなだれる。
「準さんだって面倒くさいっつーの」
 眠っているなら今のうち、そう思い小声で反撃する。言葉や仕草で散々振り回されてきた仕返しだった。
 いつも一歩手前でするりと逃げられる、皮肉な展開ばかりでもう限界だ。
 もっと言ってやろうと覗き込むと、閉じられていたはずの双眸が開いている。それはじっと利央を凝視していた。
「誰が面倒くさいって?」
「え? オレそんなこと言いましたっけ」
 とぼけてみたが、鋭い視線に負けて「すいません」と肩をすくめ殊勝な顔をする。
 準太は起き上がって椅子の上にあぐらをかいた。髪の毛がところどころ乱れている。跳ねた髪を眺めて利央は苦笑した。
「準さん最近変ですよ。どうしたんすか」
「お前のせいだ、アホ」
「オレ? オレ何かしましたっけ」
「これだけ振り回しといて、よく言う」
 むしろ振り回されていたのは自分の方だ。利央は目を瞬かせた。
 準太は不機嫌な表情で片膝立てる。そこに顎を乗せて真っ直ぐ利央を見据えた。
 その表情に息が詰まりそうになる。はずした視線はあちこちさまよい、救いを求めるように聖母へ向かった。しかし彼女は微笑むばかりである。利央は乱暴に髪をかきまわし、俯いてしばし唸った。
「すいません」
 結局それしか言葉が浮かばず、すっかり落ち込んだ様子で詫びた。準太が吐き出したため息が耳をかすめる。
 膝を抱えて考え込んでいると、髪に指が差し込まれる。それは荒々しく頭を撫でた。驚いて顔を上げると、複雑な表情を浮かべた準太と目が合う。
「自分から仕掛けたことだろ、責任持て」
「へ?」
「お前みたいな馬鹿は他にいないんだろ?」
 鼓動がにわかに速くなる。
 いつか自分が零した言葉を思い出して、しぼんでいた心が急速に膨らんでいくのを感じた。
『準さんみたいな人を好きだなんて言う馬鹿はオレくらいですよ』
 そんな馬鹿が他にいたら困る。
「それって観念したってことですよね」
 準太の顔がわずかに歪む。
 ここで引き下がれば意地っ張りな彼の本音を引っ張り出す機会は二度と訪れないかもしれない。利央は得意げな表情で頭上を仰いだ。
「いいかげんあきらめてください。神様が見てますよ」
 聖母の胸に抱かれたキリストを指差すと、準太の口元が困ったように曲がる。調子づいた利央はなおもたたみかける。
「さっさとあきらめてオレのものになっちゃえばいいんすよ」
 いつか口にした台詞でとどめを刺した。すると見る間に準太の口元が意地悪くつりあがる。
「誰がお前のものになんかなるか。逆だ、アホ」
「ん?」
 一瞬意味がわからず首をかしげた。
 しばらくじっくり頭の中で状況を整理し、ようやく答えに行き着いた彼の顔に驚きと歓喜が広がる。信じられないほど素直な言葉に、夢かと思い両頬を思い切り引っ張った。どうやら夢ではないらしい。
「なんで? あの準さんがそんなこと言うなんて」
 痛みを感じたがまだ信じられずにいる。ひどい言われように心外だと準太は目をすがめた。
「神様が見てるしな」
「信じてないくせに」
「……お前」
 少しずつ時間が経つにつれ、体の隅々にまで準太の言葉が広がった。ようやく自分の願いが叶ったのだと確信した利央は、待ちきれなくなって隣りの体を抱きしめようと手を伸ばす。
 甘い反応を期待した彼に痛烈な反撃が返ってくる。脳天にお見舞いされたげんこつが冷たい風にしみた。
「えー。なんでっすか」
「調子に乗ってベタベタすんな」
「だって……準さんもオレが好きなんですよね」
「あ? 知るか」
「神様が見てますよー」
 一瞬の隙をついて、横を向いた準太を包み込む。身構えて硬くなった体を抱きしめ、逃げ出さないよう腕に力を込めた。怒りに任せて乱暴に解こうとする腕を、逃がすまいとしっかりつかまえる。耳元で観念するよう囁くと、怒気をはらんだ言葉を返された。
「放せ、アホ」
「聞こえませーん」
 つかんだ尻尾はそう簡単に逃がさない。
 ようやくつかまえた天邪鬼の頬に自分の頬を押し当てると、暴れているせいかひどく熱かった。それがますます利央を有頂天にさせる。
「覚悟してくださいね、準さん」
 利央は勝ち誇った笑みを浮かべ、つかんだ尻尾を抱きしめた。
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