悪夢にうなされて目が覚めた。飛び起きると嫌な汗が額に滲んでいる。
「あいつ……」
夢の中でまで利央に追い回されていたらしい。
布団から這い出し洗面所へ向かうと乱暴に顔を洗った。
闇の中で見上げた鏡にぼんやりと夢の中で見た笑顔が映る。両手を広げて勝利の喜びを分かち合おうとする女房役をしっかり抱きしめると、耳元で囁かれた。
『だからおとなしくオレのものになっちゃえばいいんすよ』
今見た夢を鮮明に思い出し身震いした。
利央の真っ直ぐな思いはいつも調子を狂わせる。気まぐれを装ってかわしてきたが、内心は慌てていた。
かわしてもかわしても返ってくるボールを叩き落してみたが、結局利央の悲しそうな顔に負けて一瞬で撤回してしまった。
逃げても逃げても追いかけてくる、それを当たり前だと思ってしまっている時点ですでに負けているのかもしれない。
教室に逃げ込んでも無駄だと悟った準太の足は礼拝堂へ向かった。そこは普段ほとんど誰も寄りつかず、隠れるには絶好の場所である。
一番前の長椅子に寝転ぶと淡く微笑する聖母と目が合った。彼女は常に穏やかな表情で人々を見下ろしている。妙に気まずい気分になって目を閉じた。どうかしている、そう思い深いため息をつく。
ひっそりとした空間に身を浸していると急に眠気が襲ってきたが、それを吹き飛ばすような足音が近づいてくる。見つかったかと思い息を潜めていると、足音はすぐ側で止まった。目は固く閉じたまま、あわよくば寝たふりを通そうとしている。
「こんなところで何してるんだ?」
その声は身構えていたものとは程遠かった。穏やかなそれに弾かれるように準太の目が開く。視線の先には苦笑しながら腰掛けようとする河合の姿があった。
「おおかた予想はつくけどな」
同情の眼差しを向けられ、いたたまれない気分になって飛び起きる。
「そういう和さんは何しにきたんすか」
「オレ? オレはとりあえず神頼み」
あぁ、と納得した様子で頷くと、ゆっくり聖母へ視線を移動させた。並んで見上げた聖母は変わらぬ表情で彼らに微笑みかけている。腕組みをしてぼんやりそこを眺めた。
神を信じるたちではないが、たまには祈ってみるのも悪くないかもしれない。何を祈ろうかと考えたが、すぐには思いつかなかった。
「だったら利央から解放してください≠ニでも頼んでみるか?」
からかい口調にむっとする。
「別に神様に頼まなくてもいいっすよ」
「だったら試合に勝てますように≠ゥ」
「神頼みじゃなくても勝てます」
「……だよなぁ」
自信に満ちた回答に河合は苦い表情を浮かべる。愚問だったかと思い、頭をかいてごまかすように笑んだ。
一時はすっかり自信を喪失して覇気のなくなったエースが、ここまで立ち直ったのは女房役のおかげなのだが、それを告げてしまえばふてくされるのが目に見えていたのでやめておく。
いつの間にか自分の不在にもすっかり慣れてしまったグラウンドを思うと少々寂しくもあったが、後輩の元気な姿を認めると河合の心は軽くなった。
「当たり前じゃなくなったら、寂しくなるかもな」
何が、と問いかけたが、河合は答える代わりに苦笑いを浮かべて立ち上がった。足音はすぐに遠くへ消えていく。
準太は追いかけずに再び長椅子に寝転んだ。差し込む光に目を細めると、ひとりでにため息が零れる。静かすぎるこの場所ではため息ひとつもやけに響いた。
当たり前じゃなくなったら寂しく感じるのだろうか。
閉じたまぶたの裏に浮かび上がってきたのは幼い笑顔だった。ストレートすぎる愛情表現に辟易することもあったが、本気で拒んでいたわけではない。
拒絶した瞬間に利央が覗かせる悲しそうな顔が見たかった。無防備すぎるその表情は準太の胸をぎゅっと締めつける。
甘いような苦いような、不思議な感覚がゆっくり広がっていく。
途端に気まぐれな心が覗き、彼は起き上がって礼拝堂をあとにした。
気まぐれな足が向かった先は一年四組の教室だった。普段なら決して自らこの場所へ訪れることなどなかったが、一度気になったらそれを片付けなければ気がすまない性質である。
しかし覗いた先に探し人の姿はなかった。心の隅に小さな怒りが湧き、舌打ちして踵を返す。上着のポケットに手を入れ伏し目がちに歩いていると、前方から聞き覚えのある声が届いた。それは曲がり角の向こうから聞こえてくる。
準太は歩調を速くして曲がり角へ向かった。思いのほか気分が高揚していたせいか、曲がり角の側で止まるはずだった彼の足はそのまま突き進んでしまう。
次の瞬間、胸の辺りに何かがぶつかった。一瞬わけがわからず目を瞬かせていると、足元に女子生徒がしゃがみこんでいるのが映る。利央が慌てて少女に手を伸ばした。
「あ、準さん。危ないじゃないっすか。ちゃんと前見て歩いてくださいよ」
利央は少女を気遣いながら準太を睨みつけた。準太は唖然としたまま二人を見つめている。
「聞いてんすか?」
答えはない。
あきれ顔でため息をついた利央は、足を捻ったという少女の腰に手を添えた。大丈夫、という優しい問いかけに彼女は小さく頷く。
いつもなら自分の姿を見かけただけで満面の笑みを見せるというのに、今はとがめるような視線を向けられている。準太はひとまず少女に謝ると、利央に冷ややかな視線を突き刺して歩き出した。
せっかく自分が会いに来てやったというのに、苛立ちが胸に渦巻く。考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しさが込み上げ、一瞬でも覗いた気まぐれな心を呪った。
「あの馬鹿」
唇から零れた言葉はどこか寂しそうにふわりと浮いて、すぐに弾けた。
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