「あれだけ嫌がられてんのによくやるよなー」
部活動終了後、チームメートの真柴迅にそう言われ利央はむっと口を尖らせた。
「嫌がられてないっつーの」
「あれはどう考えても嫌がってるだろ。お前ってほんっと馬鹿だよな」
「うっさいな、迅のくせに」
舌打ちして前髪に指を差し入れた。つかんだ髪は汗で湿っている。
球を投げている時の準太を前にすると、何ひとつ言えなくなってしまう。
本当は自分の気持ちを何度でも伝えたい衝動に駆られるのだが、ブルペンでの彼の眼差しは他のすべてを忘れさせるものがあった。もちろん利央とて防具をつければたちまちすべてを忘れてしまう。しかしただひたすら何かを追いかけることには変わりがなかった。
これからは二人で勝ち続ける、そう約束した日から彼らの道はひとつになったのだ。視線の先には最高の勝利のみ。それを迅に語ると「野球は二人でやるんじゃねぇよ」と突っ込まれたのだが。もっともな訴えに口を開けたまま固まった。
「せいぜい頑張れば?」
ぶっきらぼうな激励に利央は破顔した。
自分の気持ちに時々溺れてしまいそうになる。
なぜこんなに誰かのことが欲しくて仕方ないのだろう。いつから、どうして、いくら考えても明確な答えは出ない。とにかく欲しい、それがすべてだった。
幼い感情はあきれるくらい利央の胸の真ん中で暴れまわっている。
その姿を見つけるたびにどうしたらいいのかわからなくなり、それをごまかすように声を上げた。そのたびに相手の眉がつりあがるのは知っている。
「準さんってどういう人好きになるんすか?」
モップで礼拝堂の床を拭いていた準太の手が止まる。
キリスト教系であるこの学校には体育館の脇に礼拝堂があった。そこは各部活が当番制で掃除を行っており、今週は野球部の担当になっている。
最初は利央と迅がやるはずだったのだが、必死の形相の利央に脅迫されて準太が回されるはめになった。
ふと仰いだ先には聖母マリアの穏やかな笑みがある。利央はそっと首からかけた十字架に触れた。
この場所で自分に嘘はつけない。
「とりあえずお前以外」
返ってきた答えは不用意な心を無遠慮に刺した。滲んでくる涙をこらえようと唇を強く噛みしめる。
他の誰の言葉も笑顔で受け流すことができるというのに、目の前の人が紡ぐ言葉に一喜一憂してしまう。
「冗談だって。何泣きそうな顔してんだよ」
「泣いてないです」
あっそう、と冷たく言い放たれ、手にしていたモップを握りしめた。そんな利央を聖母は優しく見下ろしている。日を透かすステンドグラスが彼らの足元に美しい模様を映し出していた。
ためらいがちに伏せていた瞳を上げ、挑戦的な視線をぶつける。それを受けた準太は訝しげな表情を見せた。
「準さんみたいな人を好きだなんて言う馬鹿はオレくらいですよ」
「何だ、それ」
「こんなプライドが高くて面倒臭い人、他の奴じゃ無理ってこと」
「全然意味わかんね」
「だからおとなしくオレのものになっちゃえばいいんすよ」
「なるか」
付き合っていられないとばかりに準太は掃除を再開した。苛立っているのか、乱暴にモップで床を拭いている。
思わぬパスボールに慌てている自分を尻目に床を磨く準太をしばらく眺めていたが、やがて深いため息をついて掃除を再開した。
クリスマスにはサンタクロースがやってくる、兄にそう言われ利央は小学校高学年までその存在を信じていた。実際毎年自分が欲しいと願ったものが、クリスマスの朝枕元にそっと置かれていたのだ。
それが両親の愛情ある嘘だと知ったのはある年の夜中だった。
ふと目を覚ますと父と母が枕元でひそひそと何かを話し込んでいた。耳を澄ませていると闇の中から「新しいミット」という声が聞こえる。その直後に枕元に何かが置かれ、彼らが部屋を出て行ったのを見計らって電気をつけてみると、以前から欲しいと零していた新しいミットが置かれていた。サンタクロースは幸福な嘘なのだと彼は解釈した。
誰かを笑顔にしたい。浮かんでくる顔はいつでもたったひとつである。その人を思い浮かべるときの利央の顔は、サンタクロースがやってきた朝によく似ていた。
臆病になっていく心を励まそうと胸を押さえる。指先に触れた十字架は風にさらされてすっかり冷たくなっていた。
冷めた風にくるまれた硬い心をほどくにはどうすればいいのか。
プライドが高くて厄介なエースの意地悪い笑みを、閉じたまぶたの裏に思い描く。
やがて来るだろう春を思い、祈るような気持ちで窓の外に広がる空を仰いだ。答えるように瞬いた星屑へ笑みを送ると、今日も一日無事に終えたことを感謝して窓を閉めた。
もしもまだサンタクロースがいると信じていたとしたら、大きなトランクを用意して準太を待っていたかもしれない。布団に滑り込みながらそんな想像をしてくすりと笑う。
狭いところに閉じ込められた彼はトランクが開いた瞬間、嫌味のひとつでも言ってくるかもしれない。
そこでふと準太なら何を欲しがるだろう、と思いつく。
先日行われた練習試合で快勝したときの準太の表情は充足したものだった。球も走っており、一球一球に自信が満ちていた。利央が一番好きな表情である。
あの顔をいつも見ていたい。そのために自分ができることは何かと考えたがなかなか思いつかなかった。
側に寄れば眉間に皺を刻まれ、近づくのを許されるのはバッテリーを組んでいる時だけである。
やっぱり嫌がられているのだろうか。ふと浮かんだ思いつきに首を振る。
あきらめたらおしまいだ。
ぶつけてはね返されてもまたぶつけて、それでもだめならまた明日。
勝負は最後までわからない。
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