「あれ? 酒もうなくなったー」 残念そうに瓶を振ってみせる田島の顔の側にぬっと魔王が出てきた。 「実はまだあるんだ」 「さっすが西広先生だな!」 するめをくわえた西広が得意満面で封を切った。 すでに三橋、阿部、水谷の三人が床に倒れていたが、宴会は続いている。いい感じに気分が乗ってきた一同は、つまみを食い散らかしていた。 傍らで文句を言いながらこまごまと片付けている栄口は、新たに登場した魔王に面食らった様子である。部屋中を駆け回ってはごみを落としていく主役のあとを追いかけ、ごみ袋に食べかすを投げ込んだ。 「田島、あんまり散らかすなよ」 もちろん聞いてなどいなかった。 「みんな楽しそうだなぁ」 するめをかじりながら西広が呟く。 騒がしい田島や泉たちから離れた沖は、どこか哀愁を感じられる西広と巣山の隣りにやってきていた。普段は野球初心者である彼に自分が教えることが多いが、今日の西広は実にたくましく見えた。涼しい顔をしてコップ酒をあおる姿は妙に威厳がある。 すでに自分の頬が熱くなっているのを感じていた沖は、恥ずかしい気持ちになって手の甲で隠した。するとはっきりわかるほどに熱を持っている。 「飲んでる?」 巣山に尋ねられ、沖は壊れるくらい頭を振った。半分ほどになったグラスに西広が笑顔で酒を注ぎ足す。 「ありがとう」 もう意識は半分夢の世界に突っ込んでいたが、眠ってしまうのが無性に恥ずかしくて必死にこらえた。 なみなみと注がれたコップに視線をやる。これを飲んでしまえばいよいよ足が立たなくなってしまう気がする。けれど飲まないのか、とばかりに見つめられると後には引けない気にもなる。 沖は覚悟を決めたとばかりに頷くと、精一杯の見栄を張って中身を流し込んだ。案の定頭の芯が揺れた。口の周りを手の甲で拭うと、大きく息を吐いてから立ち上がる。 頼りない足を踏ん張って「ちょっと便所」と二人に宣言すると目を凝らして真っ直ぐ歩こうと頑張った。実際斜めに歩いていたのだが、本人にはもうわからない。 その背中を微笑みで見送る西広。 「沖、大丈夫?」 「へーき」 気遣わしげに声をかけた泉に手を上げて部屋の外に出ると、膝から急に力が抜けた。 「次は沖か?」 マジックを指で回しながら得意げな様子の田島。彼は腰に手を当て、つながった阿部の眉毛を見てほくそ笑んだ。 先に眠ってしまった者が餌食になるというのはよくあることである。 日頃の恨みをこめた報復か、田島によって阿部の眉間はマジックで塗りつぶされていた。 「水谷はどーする?」 「それ貸して」 何かよからぬことを企んだ表情の泉が田島に向かって手を伸ばす。田島は興奮気味にマジックを渡した。 「こいつはやっぱコレだろ」 「あとコレも。こっちいいんじゃね?」 「お前ら、そのくらいでやめとけって」 栄口の制止も虚しく、水谷はまぶたに目玉、頬にはうずまき、鼻の下にはひげを描かれた。寝ている本人は気持ち良さそうに寝息を立てている。仕掛けた本人たちは壮絶な寝顔に大爆笑だった。 沖は帰ってくるなり悲惨な状況のチームメートに気づいて青ざめる。落ちかけていたまぶたは一気に押し上げられた。 犯人は聞かなくてもわかっている。 次は何をしようかと企む田島の指先を横目で見ると、なるべく関わるまいと目を伏せた。いたずら好きな彼は、こういうことに関して恐ろしく頭の回転が速かった。そのひらめきを勉強に少しでも発揮できればいいのに、と思ったが皆揃って口を閉ざした。 なぜか執拗に書き足されていく水谷の顔に心の中で合掌すると、いつの間にか注ぎ足されていた自分のコップを見て目を丸くする。遠慮がちにゆっくり隣りを見ると、すっかりご機嫌の巣山が口角を持ち上げてさわやかに笑んだ。本人は好意のつもりだったが、沖にはまったく届いていない。絶望的な気分になったが、ここで断るのは友情を踏みにじるような気がして覚悟を決めた。 普段からクールな巣山は、随分飲んでいるというのにいつもと別段変わらぬ様子で他人の話に耳を傾けている。片肘をついてたまにくっとくぐもった声で笑う姿は、とても十代とは思えなかった。 張り合ってもとても勝てないとわかっていたが、沖にも意地がある。 「巣山も西広もしゅげーよ」 しかし呂律が回っていない。ぐるぐる回る頭には何度も同じ言葉が巡るばかりだ。 「マジでー。しゅげーってー」 意味もなく振りかぶった手が巣山の肩に当たる。とどめの一杯がよほど効いたのか、完全に目が据わっていた。若干引き気味の巣山は、苦々しい表情でさりげなく置かれた手を引き剥がそうとした。 「わかった、わかったから」 「しゅげーしゅやまにちゅーしてやる」 「沖が壊れた?!」 「ひぃーっ! 誰か助けて」 迫ってくる沖をどうすればいいのかわからず、青ざめた巣山が必死の形相で助けを求めた。しかしおもしろがってはやしたてる仲間には無駄なことである。田島においては手を叩いておおはしゃぎだった。 いよいよ唇が触れるか、という時。穏やかな声がそれを制した。 「はい、水」 肩を叩かれた沖が振り返ると、水の入ったグラスを手にした西広が立っていた。 「他に何か欲しいものある?」 優しく尋ねられ、沖の視線はすっかり西広に移った。手渡されたグラスの中身を飲み干すと、渇ききっていた喉の奥が潤う。少し落ち着きを取り戻した彼はもじもじしながら顔を赤くした。 「つまんねー。ミハシのやつ、寝てばっか」 ひとしきり水谷の顔に落書きをしつくした田島が大口を開けてあくびする。もはや誰なのかわからなくなっている。あとで拭いてやろう、と栄口は密かに思った。 「しょーがねー。次はミハシだ」 じっとしていられない性分である四番の少年は、とうとうその手を三橋に伸ばすことにする。落書きはもう飽きてしまったらしく、しばし何をしようか考えた。 「おし! 脱がすか」 突飛な思いつきにとうとう我慢ならず、花井は持っていたグラスを乱暴に置いて止めに入ろうとする。しかし身軽な田島はベッドに飛び乗り寝息を立てる三橋の枕元にしゃがんだ。 楽しくてたまらないとばかりに双眸を輝かせた彼は、目が合った泉に手招きした。 「オレが上やるから、お前下な」 そう言ってさっそく三橋の上着に手をかける。おもしろそうだと踏んだ泉も弾んだ声で返事してベッドに乗った。 「お前ら、それはまずいって」 脱がされたと知ったら三橋は泣いてしまう、そう予想した花井は懸命に止めるよう説得を試みた。 もちろん聞くはずもない。 「だーいじょうぶだってー」 「いやいや、それってイジメだろ?」 「だーいじょうぶ。だってミハシはオレんだもん」 「お前、なにさりげなく暴言吐いてんだよ」 口でいくら説得しても無駄だと悟った花井は力でねじ伏せる作戦に出ることにした。袖を捲り上げて一発小突いてやろうと立ち上がると、背後からやけに大人びた声がかかる。 「ダメだよ、田島。好きな子はもっと大事に扱わないと」 「そーか?」 「そう。じゃないと嫌われるよ」 頬杖をついた彼の落ち着いた声に一同は尊敬の眼差しを向ける。 すっかり納得した様子の田島は途中までめくっていた三橋のシャツを戻すと、生真面目な表情でテーブルの側に戻ってきた。 自分が役に立たなかったことにうなだれる花井の傍らで、沖が頬を染めている。奥手な性格のため色恋沙汰に疎い彼にとって、西広の言葉は刺激が強すぎたらしい。 普段ならば羞恥心から絶対に聞けないのだが、好奇心が何よりも勝った。興奮気味に挙手する。 「ところで西広、くんって……あの……その……あるの?」 西広は質問の意図を理解したのか否か、ふっと笑みを零す。それを肯定の意味だととった沖は、とうとう何かが弾けたように崩れ落ちた。 「あ、沖死んだ」 |