「イェーイ!」 水谷はひとりすっかり雰囲気に酔っているのか、立ち上がって意味もなく拳を振り上げている。隣りの阿部が顔をしかめたが、巣山にたしなめられてチキンにかぶりついた。その姿はまさに「魔王」そのものである。 「でもさ、マジでいいのかよオレら。酒なんか飲んで」 まだどこか乗り気ではない花井が頭を掻きながら唸っている。視線をやると魔王が彼を威嚇するようにテーブルから睨みつけていた。なぜか負けじと一升瓶を睨み返してしまう。 「バレなきゃ大丈夫だよ」 思い悩む花井に弾んだ声がかかる。意外な声に振り返ると、西広がにこやかな笑みを浮かべて親指を立てていた。これを水谷辺りが言えば間違いなく怒鳴りつけているところだが、相手が予想外だったため言葉に詰まってしまう。 「ダッセー。別に酒くらいいいじゃん」 泉にたたみかけられ、むっとした彼はやけになって叫んだ。 「そんじゃー乾杯すっぞ! グラスないヤツいるか?」 自分ひとりやきもきしているのが馬鹿らしく感じられ、この際細かいことは気にしないことにする。 ぐるっとテーブルを一通り見回すと、視線は巣山の前で止まる。彼の前にグラスがないのに気づいた世話好きな主将は、慌てた表情で余ったグラスがないか探した。 「巣山、グラス」 グラスを差し出すと巣山がふっと不敵な笑みを零す。意図をわかりかねた花井は目を細めた。 「オレにはこれがあるから大丈夫!」 自信満々の笑みを向けられ、視線はその手元に向かった。 取り出されたのは枡である。見るからに上等な枡に惚れ惚れした様子の巣山だった。 「マイ枡かよ!」 枡をかざしてみせた巣山に全員が思わず突っ込んでしまう。なぜか彼は照れくさそうに微笑した。 「そうそう。三橋にはちゃんとおちょこ持ってきた」 「あ、ありが、とう」 もはや何と言えばいいのかわからず、一同は苦い表情でその様子を見守った。微妙な空気をいかにして払拭しようか、固まったまま主将は考える。 「オレもう腹へって死にそー。早く食おーぜ」 頭を抱えていた花井に救いの声がかかった。 本日の主役である田島がよだれを垂らさんばかりに食べ物を凝視している。主役のひと声に再び全員の視線がそちらへ向かった。 気を取り直し、酒をカップに注ぐ。準備が整ったのを確認すると、主将が音頭をとった。 「じゃー始めっぞ。田島、誕生日おめでとう!」 「おー!」 瞬間、全員が目の色を変えて食べ物に手を伸ばした。 みんなの楽しそうな顔に最初は緊張気味だった三橋の表情がほころぶ。雰囲気に呑まれやすい少年は、おちょこの中身を一気に飲み干して赤い顔をしていた。 「三橋、もうなくなった? 注ごうか」 「栄口君、いいひと、だっ」 緩んだ口元になみなみと酒の注がれたおちょこを運び、嬉しさのあまりまたしても一気に飲み干してしまう。見かけによらない豪快な飲みっぷりに、栄口が微笑してさらに酒を注ぎ足してやろうとすると、邪魔するように横から手が伸びてきた。 驚いた二人が視線をやった先には、目をつりあげた魔王がいる。三橋は思わず喉を鳴らした。 「お前はそんくらいにしとけよ」 目の据わった女房役にのけぞってしまう。すでに酔っているのか、阿部の目は半分ほど閉じかけていた。いつも強気なチームメートの意外な弱点に栄口は笑いをかみ殺す。 「オ、オレ、だいじょぶ、だよ」 「オレがダメだっつったらダメなんだよ」 理不尽な言葉に栄口の顔が引きつる。さすがに不憫に思って、今にも泣き出しそうな三橋の頭を撫でてやった。 「そういう阿部だって飲んでるだろ?」 諭すつもりで優しく問いかけたが、魔王は鋭い眼光を向けた。 「オレはいいけど、コイツはダメだ」 「どういう理屈だよ……それ」 あきれかえって深いため息をつく栄口。 「大丈夫だよ、三橋。阿部は酔ってるだけだから」 「あ? 酔ってねーよ!」 そう言ってテーブルに置かれていた栄口のコップをひったくると、立ち上がって一気に流し込んだ。よほど酔っていないと証明したいのか、彼はそこらじゅうにある他人の酒を続けざまに飲み干した。 「いいか、三橋! お前はオレの言うこと聞いてりゃいいんだよ。わかったか?」 「うっ、は、はい」 「絡むなよ。阿部、ちょっととばしすぎじゃない?」 「あ? うっせーよ。ピーピー野郎は黙ってろ」 あまりの暴言にそれまでにこやかだった栄口の表情が一変する。片頬をゆがめて小さく何度も頷いた。 「阿部はマジでひどいヤツだよ」 打ちひしがれた様子の栄口を横目で見やると、阿部はさらに距離を詰めて、三橋の手からおちょこを無理矢理取り上げる。 彼なりに心配しているのだが、少々やり方が強引なのが玉に傷だ。素直にひと言「お前が心配だ」と言えないのが彼らしいといえばそうなのだが。 「いいか? お前は」 至近距離に迫った魔王の脅威にすっかり萎縮してしまった三橋は、小さく震えながら膝を抱えている。その様子にこれまであちこち動き回っていた本日の主役が気づいた。 今にも襲い掛かろうとしていた魔王の襟首をつかむと、衣服の隙間から背中に氷をひとつ落とした。 阿部は驚いて悲鳴を上げる。 「三橋イジメんなよ!」 「田島! テメェ氷入れやがったろ」 「大丈夫か?」 「だいじょぶ、だよ」 「人の話を聞け!」 「三橋イジメんな、魔王」 「お前、いろいろ間違ってんぞ」 お互い一歩も譲らず、牽制するように睨みあっている。 そこで助けを求めようと周囲を見回すが、関わるまいと目をそらされてしまった。孤立無援だと悟った阿部は舌打ちして一升瓶をひったくり、何やら呟きながらコップに酒を注いだ。視界の端では三橋が田島に慰められて嬉しそうにしている。それがさらに怒りをあおった。 「マジうっぜぇ……」 コップに唇をつけながら小声で泉が呟く。それは一瞬静まり返った室内に響き渡った。 誰のことを言っているのか、誰もがわかっていたため視線がそちらへ一斉に注がれる。毒舌家の隣りに座っていた沖は、魔王の報復に怯えて声の主を肘で突いた。 「聞こえてるよ!?」 「別によくね? ホントのことだろ」 挑戦的な泉だったが、もうすっかり酔っ払っている阿部には聞こえていなかったらしい。視線に気づいて「なんだよ、酔ってねーよ」と吐き捨てただけだった。 「あれはすぐ死ぬな」 誰かがそう呟くと、皆苦い表情で深く頷いた。 「ちょっとさー。みんな暗くねー? 盛り上がっていこーぜ。水谷文貴、歌いまーす!」 すっかりよどんでしまった空気に甲高い声が割って入る。突然立ち上がった水谷は、マイクを持つ真似をして前のめりになった。 「栄口も一緒に歌おーぜ」 「無理」 即答される。 しかしまったく気にする様子もなく十八番を熱唱し始めた。本人は実に気持ち良さそうだが、聞かされている方は思わず耳を塞いでしまうほどの音痴である。 たまりかねた泉が足元に落ちていたタオルを丸めて投げつけた。 「ヘタクソー!」 全員が一斉に非難の声を上げ、水谷は渋々途中で歌を中断すると、すっかり落ち込んでその場で膝を抱える。そこに顔をうずめて誰かがなぐさめてくれるのをじっと待った。近くにいた数人がその役目を視線で互いに押しつけあっている。 結局栄口が嫌々ながらも引き受けるはめになった。水谷の肩にそっと手を置き、柔らかく微笑む。 「大丈夫だよ、歌が下手でも。オレたち野球頑張ればいいじゃん!」 微妙ななぐさめ方に周囲は苦笑する。しかし当人は優しい声音にすっかり機嫌を良くして顔を上げた。 そうだ、オレには野球がある! そう思って立ち上がりかけた。 「でも水谷は野球もヘタだぞ」 立ち上がりかけた水谷は、ショックのあまり白目を剥いて後ろに倒れる。 「たじまぁ!」 慌てて水谷を支えた栄口に悲劇が襲う。 「テメー、倒れながら吐くな!」 「ごめんよー、ごめんよー」 宴は開始直後にして不穏な空気に包まれていた。 |